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安房守の書の世界
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書の古典を臨書し、
時には書の創作、習作を発表。

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鑑真・書状(754)
鑑真・書状(754) 鑑真(688-763) 鑑真54歳の742年の第一回目の渡日決行から748年の第五回目の決行までことごとく失敗、 第五回目には激しい暴風にあい、14日間の漂流の末海南島へ漂着する。 この間の辛苦の為、鑑真は失明する。 753年、渡日の決意は変わらず6度目にて悲願を達成し終に日本の土を踏むのである。 想像を超える意志の強さである。 仏教行政の最高指導者“大僧都”に任命され、 仏教界の風紀を劇的に改善したとされる。 その後、朝廷と意見が分かれ野に下る。 71歳の時、私寺である唐招提... ...続きを見る

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2018/12/19 09:52
道鏡・牒(762)
道鏡・牒(762) 道鏡(?-772) 藤原仲麻呂が失脚後、益々孝謙天皇の寵愛を深くし、 天皇の地位を狙う(一部には俗説との説あり)までの高位に上り詰めたが、 孝謙天皇(後の称徳天皇)没後に失脚する。  しかし、失脚の理由などは不明確で、 天皇後継問題に絡んで歴史から疎外された、との説も有る。 この書の書かれたのは762年とすると、 藤原仲麻呂の変(764年)以前のこととなり、 仲麻呂と孝謙天皇の寵愛を競い合っていた時期の事になり興味深い。 ...続きを見る

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2018/12/15 09:24
書の歴史/飛鳥-奈良時代2  恵美押勝・東大寺封戸処分勅書(760)
書の歴史/飛鳥-奈良時代2  恵美押勝・東大寺封戸処分勅書(760) 恵美押勝(706ー764) 藤原 仲麻呂、のちに改名して恵美押勝。 藤原南家の始祖である藤原武智麻呂の次男として生まれる。 生まれつき聡明鋭敏であり、大抵の書物は読破し優れた学才を示したと言う。 叔母にあたる光明皇后の信任が厚くその後ろ盾のもとで権勢を振るった。 光明皇后没後に権勢は衰え、後に恵美押勝の乱を起こすが破れて斬首される。 ...続きを見る

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2018/12/14 09:48
光明皇后・杜家立成雑書要略
光明皇后・杜家立成雑書要略 「杜家立成雑書要略」1は,東大寺正倉院に伝存する,光明皇后筆の書簡の模範文例集 である。 ...続きを見る

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2018/12/12 09:46
書の歴史・日本編1/飛鳥-奈良時代-2 光明皇后・楽毅論(744)
書の歴史・日本編1/飛鳥-奈良時代-2   光明皇后・楽毅論(744) 光明皇后(701-760) 王羲之の「楽毅論」を光明皇后が臨書した。 筆跡から、豊かな感受性と旺盛な好奇心の持ち主であった事が覗える。 一方で、男性的ともいえる豪放磊落な書風である。 威厳さも兼ね備え、極めて堅固な精神の持ち主であった事が想像出来る。。  深い教養と聡明さを以ってして、当時の才色兼備な才女として、 天平文化の中心的な存在で有ったのであろう。 籐三娘の署名は、 皇后と言うより藤原不比等の三女を強く意識していたのであろうか。 ...続きを見る

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2018/12/10 09:44
聖武天皇(701-756) 賢愚経(740以降)
聖武天皇(701-756) 賢愚経(740以降) 国宝である。  『賢愚経』は「賢愚因縁経(けんぐいんねんきょう)」ともいわれ、賢者と愚者に関する比喩的な小話69篇を収めた1部13巻からなる経典である 。 ...続きを見る

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2018/12/08 10:08
聖武天皇雑集(731)
聖武天皇雑集(731) 聖武天皇(701-756) 中国の六朝、隋、唐の詩文から抜け書きされたもので、 全長21.35mに及ぶ長巻である。 先の詩序同様、中国では既に失われている詩文も有り、 中国文学史上も極めて貴重なものとされる。 それにしても、 後述の光明皇后の豪放とも言える書風に比して、 ご主人であるこの聖武天皇の書の繊細にして正確、 一画一画が几帳面に書かれている。 お二人の性格を垣間見るようで微笑ましい。  しかし、王羲之を丹念に学んだであろう骨格の確かさが覗える。 ...続きを見る

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2018/12/04 10:28
多胡碑(711)
多胡碑(711) 山ノ上碑、金井沢碑とともに上野国三碑の一つ。 国の特別史跡である。 書道史上、那須国造碑、多賀城碑と並ぶ日本三大古碑の一つである。 碑の内容から8世紀後半の建碑とされる。 朴訥剛毅な楷書で書かれ、豪放、自由闊達な力が漲っている。 この碑も、一見、北魏の碑と見紛う。 多胡群建群の官符である。 羊の字は方角説、人名説などの説があるが、 羊を渡来人の名であるとする説が有力である。 多胡も多くの胡人の意と想定されている。 ...続きを見る

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2018/11/19 09:04
詩序(707)
詩序(707) 当時、唐で最も著名な詩人王勃の文集の残巻である。 第8次遣唐使によって持たされたとされる。 当時の知識人、文人たちが挙って王勃の詩を読み詠い書き漁ったのであろう。 仏典以外では日本最古の写本という。 美麗な料紙に書かれた文字は華麗である。 この書風も欧陽詢の流れを汲んでおり、 また、則天文字が随所に見られるのも特徴である。 (則天文字とは則天武后が作った漢字で水戸光圀の圀はその一つの例である。) ...続きを見る

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2018/11/17 09:59
宇治橋断碑(646)
宇治橋断碑(646) 日本最古の碑石とされている。 長年地に埋もれていて江戸時代の発見された時は大部分が破損し失われていたが、 後に残されていた文章を元に復元された、これが断碑と呼ばれる由縁である。 鋭い力強い書風は日本金石文の名蹟とされている。 ...続きを見る

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2018/11/15 10:02
金剛場陀羅尼経(686)
金剛場陀羅尼経(686) 我が国に残された最古の写経である。 縦長で締まった背勢、随所に欧陽詢の筆法が覗える。 欧陽詢の没後40年余りの早さだ。 ...続きを見る

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2018/11/14 10:26
宇治橋断碑(646)
宇治橋断碑(646) 日本最古の碑石とされている。 長年地に埋もれていて江戸時代の発見された時は大部分が破損し失われていたが、 後に残されていた文章を元に復元された、これが断碑と呼ばれる由縁である。 鋭い力強い書風は日本金石文の名蹟とされている。 ...続きを見る

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2018/11/13 09:12
法隆寺釈迦像光背銘(621)
法隆寺釈迦像光背銘(621) 聖徳太子を悼んで造像された三尊佛の光背の裏の刻銘であり、 隋朝の金文さながらの風韻のある美しい文字が整然と並んでいる。 三尊佛は止利仏師の作。 ...続きを見る

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2018/11/12 14:01
書の歴史・日本編1/飛鳥-奈良時代
書の歴史・日本編1/飛鳥-奈良時代 日本への漢字の渡来は、五世紀の頃、
阿直岐、王仁の百済からの来朝に始まると言われているが、
それ以前に帰化人によりもたらされている事を考古学上の遺物が物語っている。
それによると一世紀初頭まで遡る。
日本固有の文字の有無についても多くの議論があり、
日本人の一人として人情的には日本固有の古代文字の存在を認めたいが、
残念ながら存在しなかったが正論のようだ。

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2018/11/09 11:09
沈周書「生朝自遺詩巻」を臨書する。
沈周書「生朝自遺詩巻」を臨書する。 沈周(1427-1509) 明中期の文人画家として知られる。 富豪の生まれであり別宅を設け晴耕雨読の生活を生涯を送り、 文人名士の来訪が絶えなかったと言う。 ...続きを見る

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2018/11/07 13:59
李白詩 『贈汪倫(汪倫に贈る)』
李白詩 『贈汪倫(汪倫に贈る)』 ...続きを見る

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2018/11/05 10:45
虫 ...続きを見る

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2018/11/03 10:09
龍 ...続きを見る

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2018/11/01 10:11
日々是好日
日々是好日 ...続きを見る

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2018/10/30 10:31
きのこ
きのこ ...続きを見る

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2018/10/28 10:03

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